磯沼牧場主は磯沼正徳さん。牧場は先代の洋三さんが牛1頭を購入しことから始まった。磯沼正徳さんは大学卒業後、オーストリアで研修を受けた。そこで牛が放し飼いで生活に溶け込んでいるのに感銘して、『家畜福祉』(アニマルフェア)の考えを基本にしたフリーバーン(牛が自由に歩ける飼育)での牧場を運営することとなった。牧場の面積は約6千平方メートル。
私と「磯沼ミルクファーム」とのお付き合いは、もう20年以上になる。デパートでのヨーグルト販売をされていたのがきっかけで知り合った。興味をもったのは、都内に牧場があるということと、販売されていたのがジャージーのヨーグルトで「かあさん牛のおくりもの」と書かかれていたことだった。
そこから牧場を訪ね、その後、当時講師をしていた明治大学農学部、フェリス女学院大学国際交流学部の課外授業として「牧場の料理会」を10年以上、毎年、開催していただいた。学生に希望者を募り、磯沼牧場でピザづくりをするというものだ。学生がチームを組み、野菜摘み、食器洗い、片付けまで行う。みんなが生地を捏ね、好きな具材をトッピングしたオリジナルのピザをピザ釜で焼く。
他に、畑から採った野菜を入れた野菜鍋、ヨーグルトベースのソースをかけた夏野菜サラダ。フローズンヨーグルトとクレメダンジュを合わせたデザートなどをみんなで作ってもらう。それを牧場で食する贅沢な時間だ。
また、ミルクのティスティングを行い、見た目や香り、味わい、食感などを表現する「味覚ワークショップ」がある。牛の違いや餌、環境によってフランスでは多くのチーズが生まれることなども紹介される。
食事の後には乳搾り体験、子牛とのふれあい、餌やりなどを行う。そのなかで正徳さんが餌のこと、糞は発酵させて堆肥化され、近くや都内の農家で活用されていること。牛の小屋には敷き藁の代わりにコーヒーやココア工場から出る殻が使われ、循環型の仕組みと同時に、糞の臭いを解消する役割もあることなどを学生たちに解説する。参加型講座(ワークショップ)となっている。
コーヒー殻が敷かれた牧場
牧場から生まれた牛糞堆肥
大学で行っていた牧場の料理会
今回、久々に牧場を訪ねたのは、牧場に隣接して食事もできる「ファーム バーゼル(TOKYO FARM VILLAGE)が誕生したと知ったからだ。
実際に行ってみると、実に贅沢な空間となっている。小高い牧場の傍らにあり、牧場が見渡せる。周辺は緑に囲まれ、その向こうには遠く山々が見え、足元からは空が広がる。
牧場の案内版(左9.TOKYO FARM VILLAGE)
牧場の案内版(左9.TOKYO FARM VILLAGE)のテラスから牧場が一望できる
牧場から見たTOKYO FARM VILLAGE
店内で販売されているヨーグルトやミルク
店がオープンしたのは2022年。
この店は、八王子を中心に多摩地区と湘南に展開するBASEL(有限会社バーゼル洋菓子店)代表取締役・渡辺純氏。1969年創業。八王子を中心に10店舗ほどある)のコラボレーションで生まれたもの。
その経緯について正徳さんは次のように語る。
「渡辺社長は面白く、チャレンジ精神の旺盛な方。『ぜひここにお店を作りたい』という話があった。うちは、ここの土地を取得する時に相談に乗ってもらって応援もしていただいた。建物自体も一緒にプランニングをみんなで重ねた。設計した方が熱心な人。この場所を最大に生かした形にしたいっていう。道路側に土壁を全面に設計したことで店内からは住宅地、道路、町並みが見えない工夫をしました」
料理には、磯沼ミルクファームのヨーグルトやミルク、ビーフ、近くの農園「中西ファーム」の野菜などがふんだんに使われている。
取材の日の出されたビーフカレーとソフトクリーム
土地は1000坪、平面地は600坪、建物は90坪、前庭は約200坪・駐車場は40台、バス3台駐車可能。
「料理はここのオリジナルで、手が込んでいる。地域の食材を最大限に生かしたオンリーワンのメニューだ。インテリアは素朴な作りでクラシックな落ち着いた雰囲気。暖炉があり、外にはファイヤーピット(炉)がある。冬は暖炉を炊く。薪は山の中から持ってくる。お肉も焼けるし、大きな鍋で煮込みもできる。イベント、パーティーイベントみたいなこともできる」
ファイアーピットとテラス
「放牧牛からミルクができる。放牧場も牛も畑も里山も見えるわけでしょ。こういう環境の中で牛が育てられていて季節の昆虫が見えたり、羊が見えたりするっていうのは、牧歌的な雰囲気があるわけだよね。だから、この中でジャージーのミルクで作られたヨーグルトですよと言うと、お客さんが納得する。見た方に説得力をもって伝えられる。牛のそばに行くと迫力も伝わる。『この牛が可愛い』とお客さんが話していた。それを聴いて僕も感動するわけだよね」と正徳さん。
実は、TOKYO FARM VILLAGEができた土地は、以前は借地で放牧の場として使われていた。しかし持ち主から売却したいという話が出て、もしマンションでも建つと、せっかくの景観が失われてしまう。そんな中、持ち上がったのが、風景や食を最大に活かしたレストランの提案だった。これが生まれたことで、磯沼ミルクファームの加工品の売り上げが伸びた。また、レストランが好評となり、家賃と商品売り上げを土地購入に充てることができた。
店内で販売されている磯沼ミルクファーム」から生まれた商品
レストランができ、牧場での体験(ホスピタリティー)も連動して、さらに豊かな環境に生まれかわった。
子どもたちの牧場見学で牛のことを解説する磯沼杏さん
畑では「八王子モーモー体験農園」が3月から1月まで約11か月行われる。牧場で育てた牛の堆肥を持って行き、終わると片付けて、また堆肥を入れて、3月から始まる。講習は月2回。運営を担う「一般社団法人畑会」と売り上げを折半している。
体験農園は「家庭菜園タイプ」(6平方メートル(3畝ほど)月額4600円)と「ガッツリ野菜タイプ」(14平方メートル(7畝ほど)、月額7600円)がある。
「田んぼの会」という稲作体験も実施している。
「約700坪の田んぼが昔からある。隣に北野街道と並行して湯殿川がある。北野街道に下水の本管が入って下水道が完備。川は湧き水と天水の清流となり、鮎も登ってきている。お米も美味しくなってきている。磯沼牧場「田んぼの会」を作って、稲作文化を体験してもらい、お米作りの楽しさを共有してきませんかということで始まった。田んぼの仕事なので、堆肥をまくところから始めて、代かき、田起こしといった細かい作業を案内し、フェイスブックにイベントページを作成して興味ある人に参加してもらえるようにした。参加費は一年間でひと家族1万円。それでお米がちゃんとできた時は10キロお米を分ける。無農薬、無化学肥料、天日干しの、昔ながらの米作り。玄米で安心して食べられる。田植えでは、田んぼの神様を迎える。花を竹の上につけて立て、その下でお供え物をしたり、案山子を作ったりする。収穫の時もみんなに手伝ってもらう。はざかけや脱穀をし、新嘗祭とか収穫感謝祭もする。1月2日には田んぼ祭りで書き初めをし、牛乳で雑炊を食べる。そういうお楽しみもある」と正徳さん。
現在、20家族が参加している。
牧場の案内看板と牧場への通路
以前から行われているものに、子どもたちのための「カウボーイ・カウガールスクール」がある。子牛に名前をつけるところから始まり、月1、2回程度で一年間。体重30、40キロの子牛は、一年経つと約250キロにもなり、さらに一年で親になる。子どもたちは牧場で行われている普段の仕事を体験する。年会費は2万円、体験日は個人の都合により設定。土日に行われている。
午前9時から始まり、午前中体験。昼食後、午後はフリー。牧場で遊ぶこともできる。子牛の哺乳の手伝い、乳しぼり体験が日曜日にあり、そのサポート、牛舎の掃除、獣医さんが来たときには見学。分娩がある時の立ち合い。放牧場の整備の仕事など、牧場のすべてを体験して学ぶというものだ。
乳搾り体験は毎週日曜日に行われている。参加費は一人700円。家畜福祉を学ぶ教室として、今後は、より内容を深めていくという。
牧場にはキャンプ用具もある。オープングリーンという体験ができるスペースがあり、不定期での開催だ。
「普段は羊が入っている。テントを張ると、隣は放牧場だから牛がみんな集まってくる。牛が横に寝てキャンプテントで一晩過ごす。費用は一人7000円ぐらい。テントは貸すことができる。そして朝ごはんをみんなで作る。チーズ、朝絞ったミルク、ヨーグルト、ソーセージなど。将来は家畜福祉を学ぶ牧場キャンプ体験教室にしたいと思っている」と正徳さん。
このように、さまざまな体験の機会と食の楽しさが学べる場となっている。
現在、『磯沼ミルクファーム』のスタッフは牧場に4名(週休2日の人もいるので、おおよそ3名)。他にヨーグルト作りが2名。外回りが一名。販売は、磯沼さんの娘・杏さんが一人社長で、販売部門を独立させ乳製品の直売を手掛ける。
磯沼正憲さん(左)と杏さん(右)
牧場見学に訪れた子供たち
パイナップルの皮やキャベツなどを食べる牛たち
牧場の売り上げの中心は、ミルクと加工品の直販だ。
毎日1000キロ、金額にして約4000万円分の生乳を絞り、1日1回、協同乳業株式会社の東京工場へ運ばれ、東京都酪農業協同組合を通して販売される。
ヨーグルトの売り上げが年間約4000万円。TOKYO FARM VILLAGEのヨーグルトの売り上げが伸びている。売り上げは、すべてを入れて約1億3000万円(2024年)。
今後、夢はさらに膨らむ。将来7種類の個別の牛のミルクから牛乳を作ってみたいという。
「結局、何をしようとしてきたのかなと思うと、畜産と都市の麗しい融合ということじゃないかな。街の中でも皆さんに価値観と空間の共有をできるような牧場にしていけたら。家畜福祉をもう一歩進め、牛たちが幸せに暮らせるようなところができれば、多くの人に共感をもってもらえるのではないか。本来の食べ物を作れる場所、都市の中のインフラとして認めてもらう形で繋がれば、うちの牧場に限らず農業っていうのは都市の中で生き続けることができるのかなと思う」
※この原稿は、「月刊NOSAI」(全国農業共済協会)2025年9月号の記事を、編集部の許可を得て転載するものです。