井上さんは、埼玉県所沢市出身。2001年に北杜市へ移住し就農した。

農業に興味をもったきっかけは、高校2年生の時のアメリカでの一ヶ月間のホームステイだった。オレゴン州ポートランド郊外クラッカマス町。農業を業として見た初めての経験となった。

「アメリカの農夫を絵に描いたような農場経営。『あなたの畑はどこまでなんですか』と聞いたら『あの山のふもとまでが俺の畑だ』と言うんです。そのスケール感に心打たれた。納屋に行くと農薬や肥料をまくセスナ機が入ってる。冬はトラックドライバー。どでかいトラックがあった。畑の見回りはモーターサイクルバイク。全てが大きく自然とともに生きる。農業面白そうだと感じた」

井上さんは普通科高校に通っていたが、帰国後、全国農村青少年教育振興会開催の夜間の就農準備校に通う。そこで出会ったのが埼玉県小川町の有機農業農家・金子美登さん(1948~2022年)だった。

研修が面白く授業に衝撃を受けた。こんな人生があるんだと一気に有機農業の魅力に引き込まれてしまった。授業が終わったあとにすぐに弟子入りを志願した。

「『まだ高校通ってるでしょう。高校卒業したらおいで』って言ってくださった。高校の卒業式の翌日に金子さんの家に行った。『ごめんね。今、海外と国内の住み込みの研修生でいっぱいで受け入れられない。友人の有機農家を紹介するよ」。それが東所沢の田中義和さん。そこで学んだ。純粋に丁稚奉公みたいな感じ。畑仕事の実務研修が中心で、2年目になり月に3万円の手当をいただきました。2年以上学んで北杜市へきました」
 
研修を受けた田中義和さんに「もし、もう一回有機農業をやるとしたらどういうところでやりたいですか」と質問した。

すると「水と空気がきれいで大自然の中で有機農業をやってみたいかな」との答え。
当時、東所沢は産業廃棄物焼却炉のダイオキシンが大きな社会問題となり、田中さんの畑の近くだった。

「田中さんは地域づくりにも非常に協力的な方で、東所沢の竹林を守るためのボランティア団体を作ったり、中学生に向けて有機農業の授業をされたりされていた。『井上君も何か喋りなさい』と言われ、中学生の前で少し喋らせてもらう機会もいただいた。地域づくりや教育など、今の活動の源流にあたるような体験は、その当時、田中さんに経験させてもらった」

大自然のなかで農業をしたいと北杜市へ移住し就農

井上さんは、関東圏で、実家の所沢から2時間圏内くらいで自然豊かな農地がないか探した。

北杜市の八ヶ岳、南アルプスの山岳景観は、オレゴンで見た風景によく似ていた。標高が高く水が綺麗で日照も長い。求めている農業と北杜市がぴたりとマッチした。移住をするため埼玉から何度も通い、20~21歳のときに引越して独立就農。当時、平成の大合併前で、旧・北巨摩郡(きたこまぐん)長坂町。町の農政担当の方に相談にのってもらい「本気でやるなら農地を一緒に探すのに協力する」と農地を紹介してもらうことに。

高校の同級生の友人と共に2001年に山梨県北杜市に移住。約30aの畑を借りてのスタートだった。

北杜市での住まいは、大家さんの、あばあちゃんが住んでいた空き家。月の家賃5000円。
起業資金は二人がアルバイトで貯めた約200万円。家の改修、中古農機具、ビニールハウスなど資材を購入。トマトを中心の多品目の有機野菜栽培。周辺の人に知ってもらうために野菜を配った。

販売は地元の別荘地訪問。軽トラックに野菜を積んで一軒一軒ピンポンを鳴らして引き売り。あとは飲食店に野菜セットで出した。採算は全然合わない。アルバイトをしながらの農業だった。造園、コンクリートの型枠大工、焼肉屋の皿洗い、ビニールハウスの建築などを通し、さまざまなスキルを身に付けることにも繋がった。
 
共に農業を始めた友人は4年目で実家に戻った。長男で、お父さんの具合が悪くなったためだった。そこから、井上さんは一人で野菜を栽培し販売を手掛けた。

採算があうようになったのは農業を始めて6、7年経ってから。農地は2haになった。

一人ではやれない。出荷時はパート、アルバイトを頼んだ。地元のおじいちゃんおばあちゃんにもアルバイトに来てもらった。そこから業としての農業をめざすこととなる。

面積が大きくなり、じゃがいも、玉ねぎ、スイートコーンなど品目を絞り栽培。そこから生協などに出荷できるようになった。

積極的に出かけて交流のなかで人脈も取引も増やす

現在は、雇用も増え、多彩な農業を築くまでになった。

「売り先がないという悔しい思いが、今の自分の根幹にある。野菜を買ってくれるところが身近にあったらいいのにとか、点在する有機農家で、まとまれば都市部に出荷できるのではという思いを何年にもわたり抱き続けてきた。当時の自分が欲しかったものを、今、一生懸命作っているという感じです。農業による社会貢献とは何かをずっと考え続けていた。僕はとても運が良く、多くの方々に協力していただいている。CSR(corporate social responsibility=企業の社会的責任)よりも僕はCSV(Creating Shared Value=共通価値の創造)の方に興味があります」と井上さん。

新規就農から今では16haと広くなった圃場での収穫風景。農地は、地域の人からの借地が多くを占める。

 2011年から正社員を雇用。今の農場長は北杜市生まれ北杜市育ち。19歳でアルバイトからスタートして正社員になった。

有機農業で影響を受けたのは金子美登さんと、多くの農家と連携し販売組織を築いた㈱マルタを創設した熊本県の柑橘農家・鶴田志郎さん(1941年~2023年)。

「金子さんと鶴田さんは、手法は違えど有機農業に多大なる貢献をされた方。金子さんは自身の農場で農的暮らしの体現と研修生の受け入れをされた。鶴田さんは有機農家の生計、要は経済性を担保するために大手企業との取引きのきっかけを作った。ゴール地点は一緒。このお二人にお会いできたのは僕の中で大きなことです。鶴田志郎さんは、近くにお越しの際には農場へ立ち寄ってくださった。有機農業を広く認知してもらうことへの多くのご苦労があり、そんな話を聞かせてもらった」

井上さんは、出張も結構多い。東京出張と地方出張と月のうちに3~4回ほどある。東京では仲の良い農家の人たちが集まり、一緒に食事や情報交換、企業との打ち合わせ。取引先との商談。講演依頼も少なくない。地方では、生産者や取引先との交流、中には、中小企業で農業事業の取り組みを計画しており、アドバイスを求められることや、農家から体験農園の仕組みを教えて欲しいという話しもあったりする。つまり、井上さんは、多くの交流と出会いのなかで、新たな取引や連携、ノウハウの取得なども豊かにしているというわけだ。
 
現在、さまざまな、新事業を進めている。

有機農業のための堆肥づくりも行っている

出荷体制の合理化とコスト削減も計画されている。

主要品目は、じゃがいも、かぼちゃ、玉ねぎ、ニンニクなど、日持ちのする野菜を中心に栽培。雨風関係なく一定の仕事が定量で作れる。搬送のための冷蔵便がいらない。

現在の出荷先の出荷形態は、生協など、1週間のうち5日間を連続して行う。この5日間を、例えば10tの野菜を5日間に分けると2tずつの納品になる。ケースや段ボールに積むと300から400ケースで、出荷を行っている。

これを1日目を仮に10tでまとめられると物流経費が約25%圧縮できる。10t車で約7tの荷が積める。宅配便だと1ケース800円、一回で納品できれば1ケース200円ほどになる計算。今後の計画では、一箱で300キロから500キロ入る鉄コンテナを使い、運用を予定。

野菜を出荷する協力農家には、鉄コンテナを畑に置いてもらい野菜を入れてもらう。それをユニック車(小型クレーン付きトラック)やフォークリフトでピッキングに行き集荷する事を考えている。

これらの手法は、北海道で行われている。これを北杜市でという構想。効率化させ時間ができ節約できる。2024年、鉄コンテナを扱う物流機器の会社と契約を予定している。

大型機器の導入も積極的に行っている

農福連携で障害者の仕事も創る

農福連携が始まったのは2012年からだった。地元の福祉施設から施設内に農場を作る話が持ち上がり、行政が間にたち面談の場がもたれた。そこから連携事業が始まった。

施設外就労で、1チーム3~5名。スタッフが1名つく。農場で農作業に従事してもらう。時間当たりの工賃も支払う。じゃがいもの種まき、草取り、ビニールマルチを剥がす、ニンニクほぐしなど様々な作業だ。ビニールハウスの中で野菜の選別調整作業や箱詰めなどもある。作業に馴染み、希望する人は最低賃金で雇用する。
作業は、週2~3回。作業時間は、人工(にんく)という数え方。一日当たり3時間以上働いてもらうと一人工カウント。現在、600から700人工ほどを来てもらっている。

このなかには七年間勤め、通信制大学で大検を取り、一般社会へ復帰した方もいる。

2024年から人数規模も増やす予定。そのために通年の仕事が必要になる。大きな集荷場を作った。

「施設外就労の就労継続支援B型事業所という区分。B型施設においての山梨県の一時間当たり平均工賃は220~230円。僕らは最低500円を担保したい。作業によっては、インセンティブもつけている」と井上さん。
廃校を活用し新たな農村への観光に繋ぐ

2013年から食育を取り入れた農業体験の受け入れを始め、今では年間3500名にもなる。
 
農業体験は三部構成、収穫体験、草取り、野菜の管理など。このなかで、井上さんが、「いただきますとごちそうさまの話」、「食料自給率の話」、「有機農産物は安心安全よりも、楽しさや美味しさを伝えるべき農業」など食育の話を必ず入れている。

2016年からグランピング施設も始めた。井上さんがキャンプ好きだったというのと、台湾の会社からインバウンド受けいれの話があったからだ。知られざる日本のニッチな旅を提供したいというもので、有機農場でのキャンプ体験の企画が提案された。そこでベルテント(中央に支柱を入れて建てる)を5張り導入した。

「在日台湾人のコーディネーターさんが優秀な方で、台北の子育て世代に営業をかけた。日本に4~5日間滞在し、2日は都市部、2日は地方のパッケージのプラン。富士山や八ヶ岳、南アルプスなどの山岳景観が人気。農場から観ることができる。お客様は、家族が多かった。子ども連れで、教育コンテンツとして捉えるという感じでした」
 
内容はさまざま。農業体験メニュー、魚釣り、日本酒藏見学、平飼い養鶏場の卵拾いなど。参加者がやりたいことをなるべく叶えるというもの。

「ぼんやりとメニューを作っておく。あまりカチッとしすぎてない。畑でゆっくりコーヒーが飲みたい言われたら、そのようにプログラム変更をします」
 
台湾のお客はコロナで途絶えた。逆に国内ツーリズムで農場のグランピングに家族で泊まりたいという富裕層が増えた。そこでテントよりも、よりゆったりとした空間を持つグランピングを増やした。

農場の傍らにあるグランピング施設。優雅な空間があり、宿泊客に人気となっている

2019年から廃校になった小学校の再活用が始まった。校舎をスタッフで改装。キッチンスタジオや体験農園の子供たちの教室、宿泊施設などを設けた。体育館はボルダリグ施設となっている。
ボルダリング施設は共同運営。

クライミングジムの施工建築を専門とする、BOTANIX Inc.(株式会社ボタニクス) 伊藤剛史社長と意気投合。スタッフ4人がいる。大型連休時には100人近くが訪れる人気に。学校内で食事も宿泊もできるよう改修を行っている。

廃校活用を決断した理由は二つ。井上さん自身が、廃校活用に興味を持っていたことと、農場の農地地権者の多くが小学校に通った人たちで、廃校になる事へ寂しさを感じていたと聞いたことからだった。廃校活用は市からプロポーザル(企画提案型)方式で採用された。管理料・家賃を支払って利用するというもの。
 
つまり、学校の再活用を引きうけることで、簡易宿泊、テント、グランピングと、幅広い客層を農村観光にも繋ぎ、新たなイノベーションを生み出した。今後の展開がさらに楽しみな事業へと広がっている。

株式会社FARMAN ファーマン
 

小学校の体育館に誕生したボルダリング・左が井上能孝さん、右は伊藤綾さん

(注)この原稿は「月刊NOSAI」(全国農業共済協会)2024年9月号に掲載されたもので、編集部の許可を得て転載するものです。