使用済み核燃料のことをほとんどのメデイアが言及しないことを大変不満に思っていましたが、最近、ある新聞が取り上げていました。核燃料の保管の方法としてこれまで一般的であった湿式貯蔵(原発内のプールに沈め、水と電気を使って冷却しながら保管する方法)に代わって、乾式貯蔵が脚光を浴びて始めているという内容でした。乾式貯蔵、つまり、頑丈な金属容器(キャスク)の中で空冷するので、安全でコストも安いという説明です。この手の記事で読み間違えやすいのは、乾式貯蔵の採用と普及によって使用済み核燃料の処理問題が片付いたと思ってしまうことです。これはあくまで一時的に貯蔵する際の方法論の議論なのです。何やら報道の意図を感じます。
 
政府は1955年の原子力基本法の成立以来、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し原発で再利用するという核燃料サイクルを政策の基本として掲げ、そのための再処理工場が稼働するまでの仮置きとして、これまでは湿式で(これからは乾式で)保管してきました。その核燃料サイクルは1993年以降、未だに実現していません。ですから、この議論はあくまで再処理や最終処分までの仮置きの話であって、最終的な解決は全く五里霧中であるということなのです。最終処分は、地中深く埋めて、放射線が元のウランの原石のレベルまで弱まるまで触らずに待つ(10万年かかるのだそうです)という方法がありますが、稼働を始めたのは世界でただ一カ所、フィンランドのあるオンカロという施設です。地震や火山の多い国には不適切な方法と言われています。
(この施設を取り上げたドキュメンタリー映画「10万年後の安全」があります。ご興味あれば…)
 
仮に、(多分、膨大な費用がかかるでしょうが)自然災害やテロに対して万全な安全対策が講じられたとしましょう。それでも残る使用済み核燃料のことはどうするつもりなのでしょうか? 自分たちが今の利便や利益を享受するために、未来永劫に課題を残すことについて、どうお考えなのでしょうか? 原発を再稼働すべきだ、新設すべきだという主張をされている政府、電力会社、一部経済界の方々には、ぜひ、この質問に答えていただきたいと願います。 単なる巨大な湯沸かし器にしか過ぎない原発に固執する理由はなんですか?
万が一が起こったら、ふるさとを捨てて全員が避難しなくてはならないようなリスクを抱えても、続けなくてはなくてはならない仕組みなのでしょうか? 湯を沸かすなら安全な方法はいくらでもあるでしょう。
 
AIの普及など社会のDX化が進む中、電力需要は増加すると見られているからこそ、まずは、エネルギーを無駄なく賢く使うこと、つまり省エネが重要です。そして、熱も含めたエネルギーの全体像を把握しながら、より環境負荷の少ないエネルギーに切り替えていくことをそれぞれの地域が主体になり、需要サイドと供給サイドが一緒になって、それぞれの地域の特性に合う計画を立て、それを国が支援して進めていくというのが、有効かつ現実的なアプローチだと考えます。
 
地域の暮らしと経済を真に持続可能なものにするために、問題の先送りはいい加減に止めませんか? 知恵とお金の使い方が間違っていると思うのは私だけでしょうか。