日本語では「ご当地エネルギー」という言葉も馴染んできたかな、というところですが、国際的には「コミュティパワー(Community Power)」や「コミュニティエネルギー(Community Energy)」という用語で、先進国に限らず、開発途上国でのエネルギーアクセスも含むかたちで推進されています。私が共同座長を務める国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の Coalition for Action Community Energy Working Group では、これまでに2つのレポート*を発表しており、世界各地の取り組みや支援政策の知見が集約されはじめています。(* 近日中にISEPから日本語翻訳版を発表予定)
 

 
地域の幅広いステークホルダーの参加とオーナーシップのもとで開発される自然エネルギーは、1980年代のデンマークにおける風力協同組合に起源をもち、1990〜2010年代にかけてドイツをはじめとする欧州各地に展開し、2010年代にはカナダ、オーストラリアでも同様に取り組みが広がっていきました。
 
ISEPは、こうした国際的なコミュティパワーのリーダーや担い手とのネットワークのもと、日本国内での展開を2000年代はじめから支援してきました。私は、大学院生だった2005年からISEPのインターンとしてかかわりはじめ、当時立ち上げ段階にあった「おひさま進歩エネルギー(長野県飯田市)」による太陽光発電事業や、「備前グリーンエネルギー(岡山県備前市)」によるバイオマス事業の舞台裏で、先駆者たちが前例のないさまざまな課題に直面する様子を見てきました。まだ、固定価格買取制度もなく、電力市場も全面自由化されていない時代です。当時、20歳代前半の私や同期のインターンたちは、地域で自然エネルギーをつくることを仕事にしてやっていけるのか、正直なところ、まったく自信がありませんでした。
 
その後、2011年3月11日、東日本大震災・福島第一原発事故が起こり、日本のエネルギー政策は根底から見直されることになり、国民的な議論も踏まえて自然エネルギーを推進していく流れが生まれました。2012年から固定価格買取制度がはじまり、省庁による支援政策メニューも増え、異業種から参入する自然エネルギー事業者や起業家が多数現れ、ゆっくりとではあったものの、金融機関も自然エネルギー事業に融資するようになりました。自治体でも再エネ条例をつくる動きがおこりました。
 
全国ご当地エネルギー協会の会員団体の多くは、こうした3.11後の一連の流れの中で誕生した地域の自然エネルギーの担い手たちであり、まったくの素人だった人たちが先駆者の経験に学び、自らの地域でプロジェクトを実現させてきました。3.11以前と比べると、直接/間接的に自然エネルギーを仕事にする人が圧倒的に増え、時代も変わったなぁと感じます。
 
一方で、この数年、大学で教える機会もあり、いま20歳前後の若者の感想やコメントを見ると、彼らにとっては3.11の記憶はあるものの、ご当地エネルギーを含め、その後のエネルギー社会の変化にはあまりリアリティがないようです。社会全体の変化と複雑化が加速する中では、ほんの数年前のこともあっという間に忘れられてしまいます。若い人たちが自然エネルギーに関心をもって、かかわり、仕事にできるような社会をつくるにはどうしたらいいのか。少なくとも、先駆者たちの経験・物語を彼ら・彼女ら自身が調べ、学ぶことには意義があるのではないかと思います。
 
ということで、エネ経とご当地エネルギー協会の連携機会であるこのメルマガで、若者が各地のご当地エネルギーについて調べ、学んだことをまとめて共有するというのがいいのではないかと考えました。次回から、新たにご当地エネルギー協会の事務局に参加することになった小出愛菜さんにご当地エネルギーレポートをお願いしたいと思います。みなさま、暖かく見守って下さい。