ボストンの「エメラルド・ネックレス」

 

  2007年から約4年の間、私はボストン郊外のチェスナットヒルというところに住んでいました。ここは市街地から車で15分ほどですが、緑が多く、庭にはリスやウサギや七面鳥などが遊びに来るような場所でした。

チェスナットヒルは、「エメラルド・ネックレス」と呼ばれる緑地帯の西の端に位置しています。「エメラルド・ネックレス」は、ボストン中心部にあるパブリック・ガーデンとボストン・コモンを起点として、南のフランクリンパークまで、9つの公園が、まさにエメラルドのネックレスのようにつながっている緑の回廊のことです。広さは1100エーカー(約450ha)で、東京ドーム約96個分もあります。

この「エメラルド・ネックレス」は、ニューヨークのセントラルパークやシカゴ万博の景観設計責任者であったフレデリック・ロー・オルムステッド(1822-1903)の設計によるものです。オルムステッドは、人々が公害や騒音や過密な都市生活から逃れ、健康的な安らぎを得られる公共の場を提供する「パークシステム」を、19世紀末に導入した人物です。当時のボストンの人々は「エメラルド・ネックレス」を、馬車や馬に乗って流したり、そぞろ歩いたりしながら余暇を楽しみ、運動できる場所あるいは静かに思索できる場所を見つけたりしていました。

 

開発の波と自治の伝統

 

都市部や郊外に残っていた自然の佇まいを残す場所が、開発され駐車場やマンションになっている光景は、日本のあちこちで見られるものですが、ボストンもやはり同様のところがあります。前述したように、都市部に緑地帯を残し、比較的慎重に都市計画がされ、全体として緑の多い住みやすい都市としてボストンは知られていますが、森の木々が切り倒され、ある日気づくとそこは住宅地やショッピングセンターになっているという事は、ここに住んでいた3年半の間もしばしばありました。こうした状況の中で、市民たちが声を上げ、地域の緑地を守ってきたボストン郊外の町ウォルサム市のケースを、ここでは紹介させていただきたいと思います。

  ウォルサム市は、中心部から車で30分くらいの北東に位置するボストン大都市圏にある人口約6万人の町です。2013年10月、ウォルサム市議会は、2エーカー(約2500坪)の細長い緑地帯を市が買い取って、自然のままに保存することを可決しました。この過程には、土地の所有者、近隣住民、地区評議員、ウォルサム・ランド・トラスト、ウォルサム市議会議員など様々な主体による市民運動がありました。

 事の始まりは、この緑地帯の所有者が、売却したいが緑地のまま残せないかとウォルサム・ランド・トラストに連絡してきたことでした。そこでランド・トラストは、この土地をどのようにしたら一番良いか、一緒に考えてくれる地域住民を探すことに決めました。そしてオプションとして、市がこの土地を買い取って残すという提案を示しました。

2011年の7月に、ランド・トラストは近隣住民に対して、「この土地は所有者が変わるけれど、市が買い取って地域のアメニティとして残すという方向性があります。ランド・トラストはこのプロジェクトが成功することを強く願い、近隣の方々にミーティングに参加していただくようお願いします」という手紙を出しました。

 この手紙を見て、多くの人々がミーティングに集まり、2年半に及ぶこの緑地帯を守るプロジェクトが始まりました。このプロジェクトで中心的活動をしたのが、地域住民であるペギー・ロバーツと地区評議員であるゲイリー・マーチェスでした。近隣住民や評議員などの関係者で何度も議論を重ね、市民に訴え、市議会議員を動かし、そして最終的に、市がこの土地を買い取ることになり、プロジェクトは成功しました。

 

 市民のための「エメラルド・ブレスレット」

 

この背景には、100年以上にわたる住民自治の歴史と、それを引き継ぐ多数の人々や団体の運動があることが指摘できるでしょう。すなわち既に1893年に、ウォルサム市内にある75エーカー(30ha)の緑地帯を、プロスペクトヒル公園として守ってゆくという、チャールズ・エリオットを中心とした市民の運動が始まっていたのです。

エメラルドのネックレスのように街を緑の鎖で囲もうというのは、オルムステッドがボストンで取り組んだ街づくりの合言葉でしたが、ここウォルサムでチャールズ・エリオットは、プロスペクトヒル公園や近隣のいくつかの公園を「エメラルド・ブレスレット」として残していきました。ウォルサム公園委員会が結成され、次のような宣言が発せられました。「我々は只今からこの土地を、人々にとって最も望ましく必要な形で使えるような場所として守ってゆきます」。1927年までには、プロスペクトヒル公園は200エーカー以上に広がり、現在は250エーカーになっています。

エリオットは、「人類の歴史は、人口増加というだけではもちろんなく、新鮮な空気と光に満ちた場所で、運動し、休息し、平和で美しい自然を楽しみ、健康で幸福に暮らすことである。そこは、騒々しくて醜い町とは正反対に、疲れた心を素晴らしくリフレッシュさせてくれるところである」といい、緑地帯を残すことの重要さを呼びかけました。 ここには、人が自然からいかに多くの恩恵を受けているか、そして自然を守ることが人の心と体の健康を守ることにつながるといった、今日の私たちにとっても重要なメッセージが込められています。

ところで、「エメラルド・ブレスレット」の鎖のひとつとして残すために、この緑地帯を購入することを市に決めさせたこのプロジェクトの立役者のペギーは、実は私の大親友です。その関係で、私はこの一部始終を彼女から聞いてきました。緑を守る市民たちは、目的を共有して闘う同志であり、アレクシス・ド・トクヴィルが1840年に『アメリカのデモクラシー』で描いた民主主義を体現する存在であると同時に、気の置けない愉快な仲間なのです。

何度となく訪れた彼女の家の周りには、緑を愛し自然の恵みを楽しみ、隣近所で集まってはバーベキューをしたり、物々交換をしたりするといった共同体が息づいていました。「好きなだけ持っていってよ」、と隣家の方に言われ、たわわに実ったチェリートマトを、子どもたちと一緒に収穫したのもよい思い出です。

 

【参考】

ボストン市のホームページ エメラルド・ネックレス

City of Boston, Emerald Necklace

https://www.boston.gov/environment-and-energy/emerald-necklace (2017年7月4日閲覧)

 

ウォルサム・ランド・トラスト誌 2014年春号

Waltham Land Trust Journal, JOURNAL SPRING 2014

https://walthamlandtrust.org/wp-content/uploads/2017/02/WLT-2014-Spring.pdf 

(2017年7月4日閲覧)